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ある軍医の記録

なかなか忙しさにかまけて行けず、ついに最終日になってしまって、慌てて行って来ました(^^;

大町市の いっし・あーとすぺーす で開催されていた
「淡煙 異彩の軍医 小野彰 展」



















太平洋戦争のニューギニア戦線、ビルマのインパール作戦など、悲惨な激戦として太平洋戦史に名高い戦線に参加し、敗戦後は英国軍の捕虜になりながら収容所で捕虜たちを治療し続けた軍医・小野彰。
1910年 長野県大町市(現)生まれ。
1937年 東京帝国大学医学部卒業。同年軍医候補生近衛歩兵第三連隊入隊。
1940年 陸軍軍医大尉。同年からニューギニア、ラバウル、ビルマ等で勤務。
1945年8月15日 敗戦。アジア各地の現地軍もそれぞれの地で降伏し、降伏文書に調印。ビルマ方面軍軍医部長代理として降伏文書調印に参加。
1946年 復員。大町市内で内科医院開業。
1977年 没。

氏は最前線の激戦の中で、絵を描き、短歌を作るようになったいきさつを以下のように書いています。

(短歌の)一首ができたが、この間は戦争の恐ろしさ怖さを忘れている自分に気付いた。そして歌はいいものだなあと思った。これを絵にすればと考えるようになった。
 暗い主観の渦に取り巻かれ、身動きできないような時、自分を客観的に見つめると、案外冷静さが湧いて来て、命も思わず切り開かれて行くものだ。

そして軍から支給されたはがきに絵を描き、裏面に短歌を細かい字で書き留めていきました。
更に氏の日記には、太平洋戦史の裏面を語る貴重な記述が克明に記録されていました。

例えば、「白骨街道」

昭和19年3月に始まったインパール作戦も、7月には早くも敗色歴然たるものあり、(略)熱帯のこととて数日で白骨となり、街道いたるところ死屍累々として鬼気迫るものがあった。(略)籾を一粒二粒口にしながら歩いてきたが、ついに、力尽きて倒れたのであろう。幾日か過ぎて白骨となり、手の中の籾が芽を出し、指の間から青く生え出している。

こうした作戦が、ろくに現地の地図もない状況で立案されていたことにもふれた記述もありました。

また、「降伏文書調印」にはこんな記述も。

(ビルマ方面軍敗戦文書調印団の一員として)私も軍医部長代理としてこの一行に加わって、歴史的使命を分担することとなった。(略)戦争末期には衛生材料補給(注・医薬品等)は全くなく、(略)マラリアと栄養失調とアメーバ赤痢とに頭を悩ましていた。ここにおいて私は日本軍の窮状を詳細に説明し、速やかな補給を要請したところ、彼らは直ちに昭南より衛生材料船を廻航することを約束してくれた。

ハガキに描かれた絵は木炭でデッサンされ、時にマーキュロクロムで彩色され、蝋燭の蝋で定着され、その色は70年以上たった今でも色あせていません。

連合軍との圧倒的な物量の違い。敗戦後の英国人との交流によって、なぜ彼らと戦争をしなければならなかったのか・・・素朴な疑問も書かれていました。

日本が戦った戦争を知る上で極めて貴重な史料だと思います。
日本を再び「戦争のできる国」にしようとしている人々の力がかつてなく強力になっているこの夏。とても有意義な展覧会だったと思います。
企画してくださった皆様、ありがとうございました。
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プロフィール

shikahiko

Author:shikahiko
長野県大町市の北アルプス山麓高瀬の森で、温泉付き貸別荘とカフェギャラリー ベルヴィルを営んでいます。
日本自然保護協会の自然観察指導員や大町市観光ボランティアの会、長野県自然保護レンジャーなどの活動に参加しています。

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