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歴史をたどる道

昨日の午前中歩いた約7キロの道ですが、明治時代の初期に、大町の資産家と金沢の士族が協力し、信州と加賀をつなぐ交易の道が作られた、その跡をたどる道でもあるのです。

昨日の目的地にした野口の大宮神明社は、信越連帯新道の信州側出発地点だったそうです。

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この信越連帯新道、長野・石川両県の有志が「開通社」を作り、明治初期の1876年に着工。1880年に日本最古級の「有料道路」として営業を開始しました。
その道は野口村大宮神明社前から籠川に沿って針ノ木峠を越え、黒部川へ下り、ザラ峠を越えて常願寺川に沿って越中原村まで、全長20里18町(約98㌔)に渡る長大なものだったようです。
石川県側からは塩を含む海の幸、長野県側からは毛皮を含む山の幸を運んだようですが、元々は糸魚川からの塩が高騰したり不純物で増量されたりしたため、石川県から安い塩を得ようとしたという事情もあったようです。
しかし、相次ぐ道路の崩壊・流失に対する修復・維持費用のめどが立たず、わずか2年で廃道になってしまいました。
ただ、この短命だった新道ですが、明治初期、海外から日本にやってきたお雇い外国人たちが近代登山のルートとして利用し、外国人向けガイドブックにも紹介されたのだそうです。
『日本アルプスの登山と探検』を著し、日本アルプスをヨーロッパに紹介したことで知られるウォルター・ウエストンもこの道を歩いたのですね~(^^♪

ここから西に向かい、高瀬入りの信号を右折して少し歩くと、西正院があります。

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ここには大町市指定有形文化財である、室町時代中期の造像と推定されている本尊・木造大姥尊坐像「おんばさま」があり、伝承では天正12年(1584)富山城主・佐々成政が「さらさら越え」の折り、西正院に大姥尊像を奉持したとされますが、一説には江戸時代に立山信仰の信者が、立山参詣への裏参道の信州側入り口にあたるこの場所に、立山よりこの像を請来したと考えられています。

そこからさらに少し歩くと、大出山の神があります。

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山の神は山を守り、材木や食料など山の幸を人々に分け与えるとともに、山中での安全を図ってくれる神様として、山仕事や登山をする人々に崇められてきました。
山の神が祀られる場所は、高山・奇岩・古木・深谷や奥山へ通ずる道の脇などが多く、例祭では酒・米・塩・野菜・餅などとともに海水魚の「オコゼ」をお供えすることが多いそうです。
山の神は女性の姿をした神様とされることが多いのですが、その実態は大山祇尊(おおやまつみのみこと)、または木花咲耶姫とされるほか、地域によっては様々な神様であるともいわれています。
また山の神は田の神でもあるとされ、山の神として山を守り、春秋の彼岸を境にして田の神となり、農民の守り神となるともいわれています。

この道は高瀬川の河岸段丘上をゆるく上って行きますが、もともと篭川を越えて高瀬川沿いに葛温泉へ向かう「湯道」でもありました。多分篭川の中州にある、地元の方が「牛馬岩」と呼ぶ岩のあたりで川を渡渉し、現在の大町エネルギー博物館のあたりで「湯道」と分かれて篭川沿いに扇沢へ向かい、針ノ木峠へ向かったのではないかなと推測されます。

すでに市立大町山岳博物館と大町山岳博物館友の会共催による「山の歴史ウォーキング 体感!山岳文化都市おおまち」ー野口編ーが行われたことがありますが、大町温泉郷発着で、お弁当を持ってこの道をたどり、約5000年前の上原遺跡や宮の森自然園等をめぐり、大町の歴史と自然を堪能できる昼食休憩込み7時間くらいのコースを組み、温泉郷観光協会と協力してガイドができるようになると面白いなって考えています(^^)v
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プロフィール

shikahiko

Author:shikahiko
長野県大町市の北アルプス山麓高瀬の森で、温泉付き貸別荘とカフェギャラリー ベルヴィルを営んでいます。
日本自然保護協会の自然観察指導員や大町市観光ボランティアの会、長野県自然保護レンジャーなどの活動に参加しています。

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