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戸隠神社信仰遺跡

今日の午後、長野市中条(旧中条村)の道の駅まで行ってきたのだけれど、その帰り道、ふと道標にひかれて小川村の戸隠神社信仰遺跡に立ち寄ってきました。

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日本でも戦国時代の武将は、勢力拡大の策として有力社寺をその支配下に置くことを一つの戦略としていました。古代からヨーロッパや中東、北アフリカで、ミトラ教やユダヤ教、キリスト教、イスラム教などを領主たちが勢力拡大の武器にしていたのと同じですね。
上杉謙信と武田信玄が信濃の覇権を争い、川中島で数度の合戦を行っていた際、戸隠三院の人々は武田方に味方して上杉謙信に追われ、1564年、70人がかつて神社の荘園であった小川村の筏ヶ峰に移り、ここに小規模ながら宝光院、中院奥院など、戸隠三院の様式をすべてまねて建立し、法灯を守りつつ故郷へ戻れる日を待ちました。
しかしながら頼みの武田家は滅亡してしまい、関ヶ原合戦の敗北で上杉影勝が米沢へ移され、景勝の手で戸隠三院の社殿が再興されたことを機に、筏が峰の宗徒は3人の灯明番を残して1594年に戸隠にもどるまで、30年もこの地で過ごしたのでした。
現在、三院跡にはひっそりと小社が祀られています。

往時に思いをはせるよすがは何一つありませんが、車1台やっと停められる待避所に車を置き、急な坂道を登って奥の院の見晴らしの良い高台に立つと、何となく胸に迫るものがあります。
もちろん規模は比較になりませんが、かつて宗教戦争の舞台となったトルコのカッパドキアの地下都市や、ポルトガルのトマールの修道院などで感じた感慨と似たものがあるのだと思います。
奥の院の広場や、かつて宝光院や中院などがあったと思われる空き地には、実になったエンレイソウや花をつける前のユキザサ、イカリソウなどが繁茂し、参道の脇にはひっそりとナルコユリの花が揺れていました。

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それにしても、思いがけず日本の歴史の一齣に触れたひと時でした(^^)
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プロフィール

shikahiko

Author:shikahiko
長野県大町市の北アルプス山麓高瀬の森で、温泉付き貸別荘とカフェギャラリー ベルヴィルを営んでいます。
日本自然保護協会の自然観察指導員や大町市観光ボランティアの会、長野県自然保護レンジャーなどの活動に参加しています。

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